2013年10月から2015年10月までの2年間、
おかげさまでスリランカではセレンディピティな出会いがあった最高の時間を過ごすことができました。
日本帰国後、次のステップに向けて現在準備中です。
スリランカでの2年間はブログでうまく伝えることができませんでしたが、それを改めこれからの旅路については随時アップしていく予定です。
これからは『つなぐ手と手の旅路』というテーマでブログを進めていきます。
http://tsunagutetotenotabiji.blogspot.jp/
こちらもぜひ読んでいただけたらうれしいです。
今後ともよろしくお願いいたします^^
心に太陽 – The Island Of SERENDIPITY SRI LANKA -
2013年10月から2年間、青年海外協力隊でセレンディップの国スリランカへ。南部にある小さな村で、理学療法士として地域に根ざしたリハビリテーション(CBR; Community baced Rehabilitation)の活動を行います。日々の活動をセレンディップのように、たくさんのヒトやモノとの出会いをきっかけとして自分のできることを気づき・築いて1歩ずつ歩んでいきたいな。
2015/12/15
2015/08/14
සම්බන්ධ හඩන සම්බන්ධ වෙන සමාජය つなぐつながる社会
協力隊の活動も残り…と、カウントダウンしている今日この頃。
この中には、車椅子に乗ったひとと同じ目線でしゃがんでいるひとが同じ鉢を持って、木を支えています。
伝えたい想いもあって、やってみたくて、
やってみた。
『壁画』
イメージのままに、描き描き。。。
初めてだからちゃんと下書きしようかと思ったけど、下書きもめんどくさくって、想いながら描きたくって、そのまま描き描き。。。
やっと完成。
テーマは、『つなぐつながる社会』です。
太陽が光を照らしています。
鳥が飛んでいます。
この意味について、ちょっぴり説明させてください。
日本語ではあまりうまく表現できないので、ご了承ください。
なにかを抱えていようと、抱えていなかろうとあろうと、社会は同じ。同じ社会の中で生きている。
生活とか、仕事とか、自分ができることはどんなことでもやってみることができる。
自分ができることをやってみることで、人を支え合ったり助け合ったりすることもできる。
この2人は同じ鉢を支えるためにつながり、木を育てている。1人ができることをやらなかったら、この木は倒れてしまう。葉は茂らず、花は咲かず、果実は実らない。太陽がいくら光を照らしたって育たない。
この2人は同じ鉢を支えるためにつながり、木を育てている。1人ができることをやらなかったら、この木は倒れてしまう。葉は茂らず、花は咲かず、果実は実らない。太陽がいくら光を照らしたって育たない。
けれど2人で支えることで、この木は太陽に向かってまっすぐ育ち、葉は茂って、花が咲き、果実が実り、成長していく。これは『地域のコミュニティ』として表現している。
木の成長をサポートする太陽は『国』を表し、コミュニティへ栄養を注いでいる。
鳥は『伝達者』を表し、発展したコミュニティの種をシェアするため他のコミュニティへ旅立っている。
車椅子に乗ったひとが独りぼっちでも、しゃがんでいるひとが独りぼっちでも、太陽がただただ光を照らしているだけでも、木という『社会』は何か欠けてしまったら成長・発展していかない。
社会に人のつながりは不可欠、つなげることも不可欠。だけど、障害・トランスジェンダーなどなどの差別やマイノリティーとして捉われがちなモノが…その社会の中に入っていなかったり排除されたりしている。ここもそう。だけどみんながいての社会。その社会に排除すべき人はいるのだろうか。入れない・入ってこれない理由はなんなのだろうか。
人をつなげ、人がつながり、その関係を広め深めて一緒に成長していけるような社会になるためには自分は何ができるのだろうか。
コミュニティが、国が、人がつながることで、この木のように社会が発展し、さらに伝達者が広げてつなげていって、そんな社会のようになりますようにと想いを込めました。
そして、木の成長につながる水のしずく1滴にでも、「自分がなれていたかなー。なれたらいいなー。」と想いながら、こんな壁画を描きました。
そんな想いがあったから、
オフィスの方々や子どもたちなど周囲の方々が協力してくれたことに、すごく意味を感じています、ありがとう。
同僚からの言葉、
「අයුමි ඔයා අපිට සම්පතක්.」(あゆみ、あなたは私たちの財産よ。)
「අයුමි ඔයා අපිට සම්පතක්.」(あゆみ、あなたは私たちの財産よ。)
壁画をオフィスに描いた意味がありました、ありがとう。
そして、子どもたちと一緒に描いたので、
“අයුමි with ළමයි”(あゆみと子どもたち&ちゃっかり大好きなピースマーク)
残り1ヶ月半、この壁画のような立派な木が育つように、少しでも多くの水をまいていけたらいいな。。。
2014/05/21
රොක් සාර් 長
『රොක් සාර් ගිහිල්ලා. ロクサー ギヒッラー.』 (長は行ってしまった。)
と、長が不在になること4ヶ月半。
私の配属当初(2014年11月)から、活動面・生活面すべてサポートしてくれていた頼りになるお父さん的存在だった長とも、さみしくも2ヶ月でお別れになってしまった。
私は、村の群事務所いわゆる日本にある区役所のような政府事務所の社会福祉課に所属していて…その長が不在。
不在というのも、今年1月初旬に異動して以来、新しい長が来ないのだ。普通というのも疑問だけれど、普通では新しい後任者が決まっている前提で異動があるものではないのだろうか。
私の疑問が間違っているのか。
プライベートオフィスならなんとなく納得できるけど、ここはパブリックオフィスである。
Divisional Secretariat である。
Secretaryがいないって…ありえるようだ。
長がいなくなって変わったこと…part.1!
スリランカのパブリックスペースでは必ず勤務開始時に必ずあるアレ、『国歌斉唱』がオフィスデーの水曜日以外なくなっている。
長がいなくなって変わったこと…part.2!
長の前での職員の緊張感はハンパなかったのに…職場が以前に増して、ゆるい。
長がいなくなって変わったこと…part.3!
スリランカポップ的な音楽がオフィスに突然流れることが…職員の好みによって、ジャンルも流れる時間も自由気まま。
長がいなくなって変わったこと…part.4!
心なしか、気のせいか、オフィスデー(職員全員出勤日)の出勤者数が激減?朝いたはずの職員も、午後にはかくれんぼか姿を見せなくなる人も少なくない。
変わったこと、良いとも言い難い…しかし誰もなにもツッコまない。
というわけで、2nd・3rdの上司たちは大忙しなわけで、あくせく仕事をしている。
新しい長が来るまでの代理として、旧長がオフィスデーに月2・3回程度ヘルプに来てくれているが昼食を食べる暇もなく仕事をしている。
変わらず一生懸命な職員は、一生懸命仕事をしている。
1月初旬に異動して、1月に新しい長は来なかった。
2月には来るだろうと言った。
でも、来なかった。
3月に聞いてみたら、4月のシンハラ正月明けには来るだろうと言った。
正月明け、来なかった。
シンハラ正月明けに聞いてみたら、5月のウェサックポーヤ明けには来るだろうと言った。
ポーヤ明けの今、まだ来ていない。
来ないというよりも、新しい長が決まっていないらしい。
長いつ来るんだろうと聞いたら、『そのうち来るでしょう、マダム(2nd
Secretary)はいるし大丈夫』
関係ないけど、オフィスに唯一ある時計が1ヶ月以上前から止まったまま…今日まだ時計いつになったら直すだろうと聞いたら、『言われて気づいた』
困っていないことには急がない、慌てない、平穏な同僚たち。
新しい長はいつ来るんだろう。
いつ誰が時計の電池取り替えてくれるんだろう。
ここは不思議なことがいっぱい。
と、長が不在になること4ヶ月半。
私の配属当初(2014年11月)から、活動面・生活面すべてサポートしてくれていた頼りになるお父さん的存在だった長とも、さみしくも2ヶ月でお別れになってしまった。
私は、村の群事務所いわゆる日本にある区役所のような政府事務所の社会福祉課に所属していて…その長が不在。
不在というのも、今年1月初旬に異動して以来、新しい長が来ないのだ。普通というのも疑問だけれど、普通では新しい後任者が決まっている前提で異動があるものではないのだろうか。
私の疑問が間違っているのか。
プライベートオフィスならなんとなく納得できるけど、ここはパブリックオフィスである。
Divisional Secretariat である。
Secretaryがいないって…ありえるようだ。
長がいなくなって変わったこと…part.1!
スリランカのパブリックスペースでは必ず勤務開始時に必ずあるアレ、『国歌斉唱』がオフィスデーの水曜日以外なくなっている。
長がいなくなって変わったこと…part.2!
長の前での職員の緊張感はハンパなかったのに…職場が以前に増して、ゆるい。
長がいなくなって変わったこと…part.3!
スリランカポップ的な音楽がオフィスに突然流れることが…職員の好みによって、ジャンルも流れる時間も自由気まま。
長がいなくなって変わったこと…part.4!
心なしか、気のせいか、オフィスデー(職員全員出勤日)の出勤者数が激減?朝いたはずの職員も、午後にはかくれんぼか姿を見せなくなる人も少なくない。
変わったこと、良いとも言い難い…しかし誰もなにもツッコまない。
というわけで、2nd・3rdの上司たちは大忙しなわけで、あくせく仕事をしている。
新しい長が来るまでの代理として、旧長がオフィスデーに月2・3回程度ヘルプに来てくれているが昼食を食べる暇もなく仕事をしている。
変わらず一生懸命な職員は、一生懸命仕事をしている。
1月初旬に異動して、1月に新しい長は来なかった。
2月には来るだろうと言った。
でも、来なかった。
3月に聞いてみたら、4月のシンハラ正月明けには来るだろうと言った。
正月明け、来なかった。
シンハラ正月明けに聞いてみたら、5月のウェサックポーヤ明けには来るだろうと言った。
ポーヤ明けの今、まだ来ていない。
来ないというよりも、新しい長が決まっていないらしい。
長いつ来るんだろうと聞いたら、『そのうち来るでしょう、マダム(2nd
Secretary)はいるし大丈夫』
関係ないけど、オフィスに唯一ある時計が1ヶ月以上前から止まったまま…今日まだ時計いつになったら直すだろうと聞いたら、『言われて気づいた』
困っていないことには急がない、慌てない、平穏な同僚たち。
新しい長はいつ来るんだろう。
いつ誰が時計の電池取り替えてくれるんだろう。
ここは不思議なことがいっぱい。
2014/05/07
සිප්පයි しっぱい
ケーキ作りに続き、正月明けにおすそわけのフルーツでジャム作りをしました。
と、反省しているのも束の間…ナンギにリベンジしようと、次はシークワーサーのような酸っぱくジューシーなデヒを用意されていました。
村は、時期ごとにいろんなフルーツが実っています。
家に必ずあると言ってもいいほど、ココナッツ。
天然ポカリ的なキングココナッツ。
20種類ほどあると言われるバナナ。
ライチのようにジューシーなランブタン。
鈴なりになっているマンゴー。
思っていたより実が硬かったグアバ。
雑草のように葉が出ていると思っていたらパイナップル。
木が高くなりすぎて熟れると鳥たちに先取りされてしまうパパイヤ。
ストローハットのようなかわいい形をしたジャンブ。
現地の女性が美容に良いと言っているがよくわからないベリ。
子どもの手のひらサイズから顔サイズまで種類豊富なドダンなどのオレンジ。
苦いのか渋いのかなんとも言えなかったナンナン。
カレーの具にも使用されるジャックフルーツ。
シークワーサーのようなデヒ。
もうすぐマンゴスチン。
家にあるものは、おすそわけ。
道端にあるものは、早いもの勝ち。
ありがたく、村でフルーツを購入したことがありません。
とにかく良いのは、『無農薬』であることです。
村での地産地消なフルーツには一切農薬を使っていません。
虫や動物たちもたくさんつまみ食い…『無農薬』だからこそ日本にいる時よりも安心して食べることができているような気がします。
夏みかんのように甘酸っぱく、皮も分厚いドダンで挑んでみました。
さらに砂糖と一緒に煮詰めて、とろみがつくまでコトコト1時間…
見た目はいい感じなんだけど…(ブラウンシュガーを使用しているため、どうなっても茶色)
見た目はいい感じなんだけど…(ブラウンシュガーを使用しているため、どうなっても茶色)
無農薬だし、もったいないから全て入れて作ってみようー!という私の考えは甘く…考えとは裏腹にジャムは甘くならず、白いワタのおかげで苦くなりました。
通常は白いワタ部分は苦味成分が強く使用せず、外の皮のみを削るように切り取って実とともにジャムを作り、その皮も厚ければ一晩ほど水に浸して数回水を入れ替えておかなければいけないもの…かなりぶっ飛ばして作ってしまいました。
アンマーはびっくりしすぎて『苦いも苦い!めちゃくちゃ苦い!』と大爆笑。
ナンギ(妹)サディーパは一緒に作ったということもあり『苦くても食べれる!』と優しいなぐさめフォローをしつつも大爆笑。
わたしも笑いが止まらず、3人で大爆笑。
こんなに笑えるほど料理を失敗したのは、小学生の頃に初めてインスタントラーメンを作った以来の大失敗(笑)
失敗した自分にも爆笑。
苦すぎるジャムにも爆笑。
2人に日本語で『失敗した!』って何て言うの?と聞かれて、『සිප්පයි සිත しっぱいした!』を教えたら、また爆笑しながら『සිප්පයි සිත しっぱいした!』を連呼してさらに大爆笑(笑)
わたしは逃げるように、そのジャムを置いて遊びに行ってしまいました。
帰宅後、ジャムの姿が見当たらず…どこにあるのかアンマーに聞いてみると、
『සිප්පයි සිත වීසි කලා“しっぱいした”捨てた!』と笑いながら言われました。
『සිප්පයි සිත しっぱいした!』という言葉はしっかり覚えていたアンマー、しかも言うの気に入ってる。
結局、虫たちのエサになってしまいました。
食べ物の無駄遣いに反省。
と、反省しているのも束の間…ナンギにリベンジしようと、次はシークワーサーのような酸っぱくジューシーなデヒを用意されていました。
ちなみにこれ、おばあちゃんの家にある木からおすそわけしてきてもらったそうです。
第2戦『デヒ』
◎レシピ◎
・デヒ 8個
・砂糖(今回ブラウンシュガー使用) ティーカップ2/3杯分
・水 適量
◎レシピ◎
・デヒ 8個
・砂糖(今回ブラウンシュガー使用) ティーカップ2/3杯分
・水 適量
沸騰後、砂糖を入れて中火で煮詰める。
40分程、ゆっくりかき回しながら弱火で煮詰め続ける。
とろみが出てきたら火を止め、粗熱を取る。
完成後、早々に味見!ビスケットにジャムをのせて、ついでにティータイム。
これは絶賛の評価を頂き、思わず…
ホッ。
第2戦は『සිප්පයි සිත しっぱいした!』はせずにすみました。2戦にて1勝1敗。
これだけ村にフルーツがあふれているんだし、コストをかけすぎずもっと美味しい食べ方もあるはず!これ、何か活動にも繋がらないかなーと…漠然としすぎているけど夢は広がります。
食の探求は続きます。
2014/05/06
පැණිරස 甘味
先月4月14日の満月(ポーヤデー)でスリランカは新年を迎えました。
今更ながら改めて、
あけましておめでとうございます。
スリランカのシンハラ正月は、時間ごとに行う儀式があります。
日本が御節や御雑煮を食べて正月を過ごすように甘いお菓子などをたくさん作ります。
そして、甘い甘ーいお菓子で親戚や友人を家に招きます。
(次回以降、シンハラ正月について紹介します。)
ホームステイ先の家では、昨年おじいちゃんが亡くなったため控えめな正月を過ごしましたが、人を迎えるためにほんの気持ちだけ年末に準備。
わたしもお手伝い。
これは甘くないけど、スリランカの伝統菓子『කොකිස් コキス』
揚げたてはサクサク美味しいー!保存方法はツッコミどころ満載なので、後々湿気てしまって油っぽくなってしまうのが悲しいところでもあり。
コキス作りは型がひとつ分しかなく、地道に作り続けるのももどかしいところでもあり。
手が込んで愛情がたっぷりということでもあり。
とにかく時間がかかるわけです。
夕方に作り始めて、気づいたら夜10時過ぎていました。
アンマーと作るの交替しつつポリポリつまみ食いしていたら、お腹もいっぱい。
アイヤー(兄)とナンギ(妹)はつまみ食いしつつ、わたしのカメラでこんなすてきな兄妹愛ショットを撮って遊んでいた!自由すぎる…でもちゃっかり、わたしもお気に入りの1枚。
ちなみにこのコキス…シンハラ語で『කෝ コ―(where)・කිස් キス(kiss)』という意味にもなります。
すなわち『キスして♥』となるわけで、意味がわからなかった初めの一時期に同僚に何度も『කොකිස් コキス』と言わされもてあそばれていたのは、このわたし。
みんなに愛されてる証拠だとポジティブに受け止めてます。
さらにもうひとつ、わたしのお手伝い。
オリジナルレシピ『バナナケーキ』
スリランカには20種類ちかくバナナの種類があるらしく、これはその中でも村ではたくさん実っているとっても甘くて美味しい『සීනි කෙසෙල් シーニケセル(suger banana)』をたっぷり使用。
スリランカのケーキは保存も効くバターケーキが多いんですが、こりゃいつも食ったら病気にもなるわ!とツッコミたくなるほど甘い…だから、村にあふれている美味しいフルーツを使用して、簡単に美味しいケーキができないかと思い立って挑んでみました。
メジャーカップや量りなんてものはないので、全て家にあるスプーンとティーカップで分量をイメージして決めたので、ある意味オリジナル(笑)
オーブンのようなトースターのようなこれで焼いてみました。日本で見たことないけど、日本製。
なんとか出来たー。
そして速攻、恒例になっているアンマーのつまみ食い…飾りのバナナがひとつ姿を消しました。
ほんと可愛いんだから、アンマーってばもう。
◎レシピ◎
・小麦粉 3カップ
・ベーキングパウダー 1杯
・砂糖(ブラウンシュガー使用) 1カップ
・バナナ(日本にあるミニバナナサイズ) 6本+飾り用2本
・卵 3個
・植物油 1/2カップ
・(母よりケーキ作り好きな私宛にチョコチップが送られてきていたので今回特別投入)
※1カップ=ティーカップ1杯分、1杯=普通サイズのスプーン1杯分
ケーキにいれるバナナはフォークの背でつぶして、飾り用は0.5cm程度にカットする。
バナナと卵と砂糖をボールに入れて混ぜて、その後に植物油を入れて混ぜる。
よく混ざったら小麦粉とベーキングパウダーを入れて、粉っぽさがなくなるまでよく混ぜる。
生地を型に入れ、カットしたバナナを並べて飾る。
本格的オーブンであれば170℃、今回使用したあれでは熱が逃げやすいので200℃設定で、30分焼く。
焼き立てはしっとり、翌日にはバナナの甘味が増してさらに美味しくなるので、味比べするのがおすすめです。
スリランカのケーキに比べて甘さが控えめだから評価はどうか心配でしたが…ありがたくも好評価。そして人を迎える前に家族で半分以上食べてしまいました。
そんなこんなで、最近は日本にいる時以上に家事手伝いを楽しんでます^^
今更ながら改めて、
あけましておめでとうございます。
スリランカのシンハラ正月は、時間ごとに行う儀式があります。
日本が御節や御雑煮を食べて正月を過ごすように甘いお菓子などをたくさん作ります。
そして、甘い甘ーいお菓子で親戚や友人を家に招きます。
(次回以降、シンハラ正月について紹介します。)
ホームステイ先の家では、昨年おじいちゃんが亡くなったため控えめな正月を過ごしましたが、人を迎えるためにほんの気持ちだけ年末に準備。
わたしもお手伝い。
これは甘くないけど、スリランカの伝統菓子『කොකිස් コキス』
揚げたてはサクサク美味しいー!保存方法はツッコミどころ満載なので、後々湿気てしまって油っぽくなってしまうのが悲しいところでもあり。
コキス作りは型がひとつ分しかなく、地道に作り続けるのももどかしいところでもあり。
手が込んで愛情がたっぷりということでもあり。
とにかく時間がかかるわけです。
夕方に作り始めて、気づいたら夜10時過ぎていました。
アンマーと作るの交替しつつポリポリつまみ食いしていたら、お腹もいっぱい。
アイヤー(兄)とナンギ(妹)はつまみ食いしつつ、わたしのカメラでこんなすてきな兄妹愛ショットを撮って遊んでいた!自由すぎる…でもちゃっかり、わたしもお気に入りの1枚。
ちなみにこのコキス…シンハラ語で『කෝ コ―(where)・කිස් キス(kiss)』という意味にもなります。
すなわち『キスして♥』となるわけで、意味がわからなかった初めの一時期に同僚に何度も『කොකිස් コキス』と言わされもてあそばれていたのは、このわたし。
みんなに愛されてる証拠だとポジティブに受け止めてます。
さらにもうひとつ、わたしのお手伝い。
オリジナルレシピ『バナナケーキ』
スリランカには20種類ちかくバナナの種類があるらしく、これはその中でも村ではたくさん実っているとっても甘くて美味しい『සීනි කෙසෙල් シーニケセル(suger banana)』をたっぷり使用。
スリランカのケーキは保存も効くバターケーキが多いんですが、こりゃいつも食ったら病気にもなるわ!とツッコミたくなるほど甘い…だから、村にあふれている美味しいフルーツを使用して、簡単に美味しいケーキができないかと思い立って挑んでみました。
メジャーカップや量りなんてものはないので、全て家にあるスプーンとティーカップで分量をイメージして決めたので、ある意味オリジナル(笑)
オーブンのようなトースターのようなこれで焼いてみました。日本で見たことないけど、日本製。
なんとか出来たー。
そして速攻、恒例になっているアンマーのつまみ食い…飾りのバナナがひとつ姿を消しました。
ほんと可愛いんだから、アンマーってばもう。
◎レシピ◎
・小麦粉 3カップ
・ベーキングパウダー 1杯
・砂糖(ブラウンシュガー使用) 1カップ
・バナナ(日本にあるミニバナナサイズ) 6本+飾り用2本
・卵 3個
・植物油 1/2カップ
・(母よりケーキ作り好きな私宛にチョコチップが送られてきていたので今回特別投入)
※1カップ=ティーカップ1杯分、1杯=普通サイズのスプーン1杯分
ケーキにいれるバナナはフォークの背でつぶして、飾り用は0.5cm程度にカットする。
バナナと卵と砂糖をボールに入れて混ぜて、その後に植物油を入れて混ぜる。
よく混ざったら小麦粉とベーキングパウダーを入れて、粉っぽさがなくなるまでよく混ぜる。
生地を型に入れ、カットしたバナナを並べて飾る。
本格的オーブンであれば170℃、今回使用したあれでは熱が逃げやすいので200℃設定で、30分焼く。
焼き立てはしっとり、翌日にはバナナの甘味が増してさらに美味しくなるので、味比べするのがおすすめです。
スリランカのケーキに比べて甘さが控えめだから評価はどうか心配でしたが…ありがたくも好評価。そして人を迎える前に家族で半分以上食べてしまいました。
そんなこんなで、最近は日本にいる時以上に家事手伝いを楽しんでます^^
2014/03/25
පවුල 家族
スリランカにきて、あっという間に6ヶ月。
最近は1日・1日経つのがものすごくはやく感じる。
思い返すと、村に来た当初はつらかったなー。というのも、生まれて初めて『いじめ』というものを受けた。そもそも『いじめ』られたことがなかったから、これは『いじめ』なのか?さえも初めわからなかったから、にぶい自分の神経に笑える。
それは大家さんから受けた。
そこは村で一番お金持ちな家で、ティーファクトリー・茶畑を所有していて、ここは村か?スリランカか?と思わせるようなほど大きく立派。
だから使用人もいっぱい。
茶摘みのおばちゃんたちもいっぱい。
家族というより、家の仕事をする人たちが出入りする家だった。
村で生活を始めて2ヶ月が経つ頃、体調を崩した。
自分が受けた原因はいろいろあったんだろうけど悪知恵を働かせる人たちがありもしない噂を流していて、私が信用されていなかったのだろう。
私のなにが足りなかったのだろう。
語学力か、伝える力か、お金か、キャラクターが好かれなかったのか、私のなにが足りなくて、こんな状況になってしまったのか悩みに悩んだけれど…大家さんに常にお金絡みの話をされていたから、それが1番の理由だったんだろう。
体調崩したときも、嘘ついてると思われてしまった。
食事も与えてもらえなかった。
キッチンも貸してもらえなかった。
病院にも連れて行ってもらえなかったから、やっとこさ自転車で診療所と商店に行って薬とビスケットを買って帰ってきた後も、いつまで病人ぶってんだのような眼差しを向けられた。
あいよー。
ここは日本ではない。
ここには日本人は私1人しかいない。
異国で生活する大変さを心身ともに痛感。なんとも弱すぎる自分の不甲斐なさを感じた。
もうここにいるのは限界だと感じて、家を出る決意をした。
けれどまた一難…この家は大きすぎるほど立派な家なため、わたしが出ていくのは都合が悪いらしい。
それは『恥』になるから。
家の名に『傷をつける』から。
だからわたしに、2年間ここに居続けないといけないと言ってきた。
だから家であった事実もすべて、オフィスの人たちには言うなとも言われていた。
ここは小さな村だから、瞬く間に噂は広がってしまう。それを恐れていた。
けれど私は、オフィスの長(村で一番えらい長)に全てを話し助けを求めた。
長は『どんなところだろうと、自分の好きじゃないところにいる必要はない。』『家の恥なんて関係ない。』と言ってくれた。
最後の最後には、炎天下でこんなに長い1時間を感じたことがないほど大家さんや使用人の人からの罵声を浴び…泣きそうだったけど耐え抜いた。
そしてそんな中、救いの手を差し伸べてくれたのはオフィスの同僚たちだった。
一人で採血に行けない自分に付き添ってくれた同僚、
4日間食事を取っていなかった自分に食事を作ってきてくれた同僚、
休日返上して新しい家を何件も探し回ってくれた同僚、
村からゴールタウンに出るまでオフィスの車で送ってくれた同僚、
感謝してもしきれないほど、面倒をみてくれた。
正直すごくつらかったけど、村に来たばっかりで迷惑かけたら申し訳ないと思って限界まで同僚には笑顔でごまかして…やっと家を出れた時、同僚の前で涙が止まらなくなってしまったけど、優しく受け止めてくれた。
けれど新しい家が決まって体調も回復して、村に帰ってきたときもまた一難。
悪知恵を働かせる人たちが、またもやありもしない噂をオフィスの人たちだけではなく村の人たちにまで流しまくっていた。
『部屋をめちゃくちゃにして出て行った。』
『酒の瓶や缶が部屋中に転がっていた。』
等々、スリランカ文化としてわたしの印象を悪くなるような噂を流されていた。
私は来たとき以上に部屋をきれいにして出て行ったし、村で酒を飲んだことがないどころか酒を売ってるところだって知らないのに、どこからそんな話が出てきたんだ。
でも面倒をみてくれている同僚たちは理解してくれていた。
それが嘘であることも、私を村にいずらくさせようとしてたくらんだ噂であることも、『信じちゃだめ、わたしたちも信じてないから。』となぐさめてくれた。
最近その事実が明らかになって…使用人として働いていた男の子が、私が出て行った直後に酒を持ち寄って部屋を荒らして私の仕業のようにされていたらしい。その彼は、家の宝石・貴金属も長期間にわたって隙を見て盗んでは、換金して女性にお金を払って近寄せたり賭け事をしたりバイクを買ったりしていた。今、彼は警察署の中。私も出て行かずその家にいたら、何かを盗られてたかもしれない。この事実はもう村中に話が広がっていて、聞きたくなくても聞いてしまうのだ。
なんとも言えない複雑な心境。
ある意味、こういった経験はしたいと思ってもできないことだったし悪いことがあったけど、良いこともあった。
それは新しい家族との出会い。
私は、アンマーのこの言葉に救われた。
『自分の家のようにいてね。』
この言葉を聴いたとき、泣きそうなくらい嬉しかった。
気張ってた自分の肩の力も抜けた。
この新しい家でホームステイを始めて2ヶ月が過ぎるが、本当に自分の家のように生活させてもらっている。
ここには、前のようにセキュリティーはない。
ここには、自分の家のように近所の人たちが出入りしている。
ここには、建築途中で窓もないところがあって虫や鳥が自由に出入りしている。
ここには、木々や茶畑に囲まれて動物たちの鳴き声が聴こえる。
ここには、家族に愛されている犬や猫もいる。
ここには、自由がある。
環境も、
家族の雰囲気も、
すごーくゆるい、いい感じ。
自分のお母さんのような気さくなアンマー、
自分の妹のようなかわいいサディーパ、
自分のお兄ちゃんのような会うだけで笑えるサミーラアイヤー、
自分のお姉ちゃんのような居候のアッカーたち、
みんな私のことを家族のように接してくれる。家族の愛に支えられている。
すごくあったかい。
すごく幸せ。
そして笑い声が絶えない家。
村の中で一番の癒しの場所、そして自分らしく笑顔でいられる場所^^
最近は1日・1日経つのがものすごくはやく感じる。
思い返すと、村に来た当初はつらかったなー。というのも、生まれて初めて『いじめ』というものを受けた。そもそも『いじめ』られたことがなかったから、これは『いじめ』なのか?さえも初めわからなかったから、にぶい自分の神経に笑える。
それは大家さんから受けた。
そこは村で一番お金持ちな家で、ティーファクトリー・茶畑を所有していて、ここは村か?スリランカか?と思わせるようなほど大きく立派。
だから使用人もいっぱい。
茶摘みのおばちゃんたちもいっぱい。
家族というより、家の仕事をする人たちが出入りする家だった。
村で生活を始めて2ヶ月が経つ頃、体調を崩した。
自分が受けた原因はいろいろあったんだろうけど悪知恵を働かせる人たちがありもしない噂を流していて、私が信用されていなかったのだろう。
私のなにが足りなかったのだろう。
語学力か、伝える力か、お金か、キャラクターが好かれなかったのか、私のなにが足りなくて、こんな状況になってしまったのか悩みに悩んだけれど…大家さんに常にお金絡みの話をされていたから、それが1番の理由だったんだろう。
体調崩したときも、嘘ついてると思われてしまった。
食事も与えてもらえなかった。
キッチンも貸してもらえなかった。
病院にも連れて行ってもらえなかったから、やっとこさ自転車で診療所と商店に行って薬とビスケットを買って帰ってきた後も、いつまで病人ぶってんだのような眼差しを向けられた。
あいよー。
ここは日本ではない。
ここには日本人は私1人しかいない。
異国で生活する大変さを心身ともに痛感。なんとも弱すぎる自分の不甲斐なさを感じた。
もうここにいるのは限界だと感じて、家を出る決意をした。
けれどまた一難…この家は大きすぎるほど立派な家なため、わたしが出ていくのは都合が悪いらしい。
それは『恥』になるから。
家の名に『傷をつける』から。
だからわたしに、2年間ここに居続けないといけないと言ってきた。
だから家であった事実もすべて、オフィスの人たちには言うなとも言われていた。
ここは小さな村だから、瞬く間に噂は広がってしまう。それを恐れていた。
けれど私は、オフィスの長(村で一番えらい長)に全てを話し助けを求めた。
長は『どんなところだろうと、自分の好きじゃないところにいる必要はない。』『家の恥なんて関係ない。』と言ってくれた。
最後の最後には、炎天下でこんなに長い1時間を感じたことがないほど大家さんや使用人の人からの罵声を浴び…泣きそうだったけど耐え抜いた。
そしてそんな中、救いの手を差し伸べてくれたのはオフィスの同僚たちだった。
一人で採血に行けない自分に付き添ってくれた同僚、
4日間食事を取っていなかった自分に食事を作ってきてくれた同僚、
休日返上して新しい家を何件も探し回ってくれた同僚、
村からゴールタウンに出るまでオフィスの車で送ってくれた同僚、
感謝してもしきれないほど、面倒をみてくれた。
正直すごくつらかったけど、村に来たばっかりで迷惑かけたら申し訳ないと思って限界まで同僚には笑顔でごまかして…やっと家を出れた時、同僚の前で涙が止まらなくなってしまったけど、優しく受け止めてくれた。
けれど新しい家が決まって体調も回復して、村に帰ってきたときもまた一難。
悪知恵を働かせる人たちが、またもやありもしない噂をオフィスの人たちだけではなく村の人たちにまで流しまくっていた。
『部屋をめちゃくちゃにして出て行った。』
『酒の瓶や缶が部屋中に転がっていた。』
等々、スリランカ文化としてわたしの印象を悪くなるような噂を流されていた。
私は来たとき以上に部屋をきれいにして出て行ったし、村で酒を飲んだことがないどころか酒を売ってるところだって知らないのに、どこからそんな話が出てきたんだ。
でも面倒をみてくれている同僚たちは理解してくれていた。
それが嘘であることも、私を村にいずらくさせようとしてたくらんだ噂であることも、『信じちゃだめ、わたしたちも信じてないから。』となぐさめてくれた。
最近その事実が明らかになって…使用人として働いていた男の子が、私が出て行った直後に酒を持ち寄って部屋を荒らして私の仕業のようにされていたらしい。その彼は、家の宝石・貴金属も長期間にわたって隙を見て盗んでは、換金して女性にお金を払って近寄せたり賭け事をしたりバイクを買ったりしていた。今、彼は警察署の中。私も出て行かずその家にいたら、何かを盗られてたかもしれない。この事実はもう村中に話が広がっていて、聞きたくなくても聞いてしまうのだ。
なんとも言えない複雑な心境。
ある意味、こういった経験はしたいと思ってもできないことだったし悪いことがあったけど、良いこともあった。
それは新しい家族との出会い。
私は、アンマーのこの言葉に救われた。
『自分の家のようにいてね。』
この言葉を聴いたとき、泣きそうなくらい嬉しかった。
気張ってた自分の肩の力も抜けた。
この新しい家でホームステイを始めて2ヶ月が過ぎるが、本当に自分の家のように生活させてもらっている。
ここには、前のようにセキュリティーはない。
ここには、自分の家のように近所の人たちが出入りしている。
ここには、建築途中で窓もないところがあって虫や鳥が自由に出入りしている。
ここには、木々や茶畑に囲まれて動物たちの鳴き声が聴こえる。
ここには、家族に愛されている犬や猫もいる。
ここには、自由がある。
環境も、
家族の雰囲気も、
すごーくゆるい、いい感じ。
自分のお母さんのような気さくなアンマー、
自分の妹のようなかわいいサディーパ、
自分のお兄ちゃんのような会うだけで笑えるサミーラアイヤー、
自分のお姉ちゃんのような居候のアッカーたち、
みんな私のことを家族のように接してくれる。家族の愛に支えられている。
すごくあったかい。
すごく幸せ。
そして笑い声が絶えない家。
娘サディーパとアンマーと私
村の中で一番の癒しの場所、そして自分らしく笑顔でいられる場所^^
2014/03/01
බල්ලා 犬
午前中の訪問が終え、昼ごはんを食べに家に帰ってきたときのこと。
今日は家族全員出かけるため、家の鍵を預かった。
家族全員出かけたから、誰もいないはず。
そう、誰もいないはず。
いないはず。。。
だけど2階に上がったら…黒い影。。。
黒い影の正体。
こいつ。
子犬、Tiny(英語で、ちっぽけという意味)。
Tinyが爆睡している…
Tinyが2階にいる…
じゃなくて!
どうして家の中になんでTinyがいるんだ!
しかも起きない!
すげぇ格好で寝てる!
すげぇ気持ちよさそう!
飼い犬なのか、
野良犬なのか、
よくわからないけど名づけられているから、飼い犬か。
スリランカは日本のように首輪をつけて家の中や檻で飼っている犬もいる。
Tinyのように外を自由に出て回って、眠ったりご飯を食べたりするときに家に戻ってくる犬もいる。
村にいるほとんどの犬がTinyのような犬。
今週巡回中に出会ったこの子犬たちも民家に住みついてしまったらしい。
このメス犬は実の母犬ではなく、母の留守中に乳を与えにくるらしい。
ちなみにTinyはまだ子犬だからやんちゃが過ぎて、この家だけでなく他の家のサンダルなり靴なりを持って行ってしまってはおもちゃにしてしまう。
人が履いているサンダルも隙を狙って取ってしまう。
何人被害者がいるんだろうか…この家の回りにはTinyのおもちゃとなったサンダルだらけ。
家族や私が帰ってくるたびに遊んでくれと飛びかかってくる。
住みついてる猫たちの餌を横取りする。
茶畑に入りこんで、泥だらけになって帰ってくる。
そんなTinyは、家族が出かける準備をして見ていない隙に忍び込んで、家の中で昼寝。
家族がいる時も扉を身体全身使って開けて入ってきて、昼寝。
家族に外に引っ張り出されても懲りずに入ってきて、昼寝。
自由すぎる。
でも、Tinyのいいところは、どんなことにも腹を立てないこと。Tinyに限らず、この村では威嚇してきたり襲って来ようとする動物に出会ったことがない。
この村はとってもおだやかな空気に包まれている。
だから、人も、動物も、おだやか。
活動でむしゃーっとなってしまう時、この空気に触れると腹を立ててしまった自分が我に返っておだやかな気持ちになり、身体がリセットされている。
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