2014/03/25

පවුල 家族

スリランカにきて、あっという間に6ヶ月。

最近は1日・1日経つのがものすごくはやく感じる。

思い返すと、村に来た当初はつらかったなー。というのも、生まれて初めて『いじめ』というものを受けた。そもそも『いじめ』られたことがなかったから、これは『いじめ』なのか?さえも初めわからなかったから、にぶい自分の神経に笑える。

それは大家さんから受けた。

そこは村で一番お金持ちな家で、ティーファクトリー・茶畑を所有していて、ここは村か?スリランカか?と思わせるようなほど大きく立派。
だから使用人もいっぱい。
茶摘みのおばちゃんたちもいっぱい。
家族というより、家の仕事をする人たちが出入りする家だった。

村で生活を始めて2ヶ月が経つ頃、体調を崩した。

自分が受けた原因はいろいろあったんだろうけど悪知恵を働かせる人たちがありもしない噂を流していて、私が信用されていなかったのだろう。
私のなにが足りなかったのだろう。

語学力か、伝える力か、お金か、キャラクターが好かれなかったのか、私のなにが足りなくて、こんな状況になってしまったのか悩みに悩んだけれど…大家さんに常にお金絡みの話をされていたから、それが1番の理由だったんだろう。

体調崩したときも、嘘ついてると思われてしまった。
食事も与えてもらえなかった。
キッチンも貸してもらえなかった。
病院にも連れて行ってもらえなかったから、やっとこさ自転車で診療所と商店に行って薬とビスケットを買って帰ってきた後も、いつまで病人ぶってんだのような眼差しを向けられた。

あいよー。

ここは日本ではない。
ここには日本人は私1人しかいない。

異国で生活する大変さを心身ともに痛感。なんとも弱すぎる自分の不甲斐なさを感じた。

もうここにいるのは限界だと感じて、家を出る決意をした。
けれどまた一難…この家は大きすぎるほど立派な家なため、わたしが出ていくのは都合が悪いらしい。
それは『恥』になるから。
家の名に『傷をつける』から。
だからわたしに、2年間ここに居続けないといけないと言ってきた。
だから家であった事実もすべて、オフィスの人たちには言うなとも言われていた。
ここは小さな村だから、瞬く間に噂は広がってしまう。それを恐れていた。

けれど私は、オフィスの長(村で一番えらい長)に全てを話し助けを求めた。
長は『どんなところだろうと、自分の好きじゃないところにいる必要はない。』『家の恥なんて関係ない。』と言ってくれた。

最後の最後には、炎天下でこんなに長い1時間を感じたことがないほど大家さんや使用人の人からの罵声を浴び…泣きそうだったけど耐え抜いた。

そしてそんな中、救いの手を差し伸べてくれたのはオフィスの同僚たちだった。
一人で採血に行けない自分に付き添ってくれた同僚、
4日間食事を取っていなかった自分に食事を作ってきてくれた同僚、
休日返上して新しい家を何件も探し回ってくれた同僚、
村からゴールタウンに出るまでオフィスの車で送ってくれた同僚、

感謝してもしきれないほど、面倒をみてくれた。

正直すごくつらかったけど、村に来たばっかりで迷惑かけたら申し訳ないと思って限界まで同僚には笑顔でごまかして…やっと家を出れた時、同僚の前で涙が止まらなくなってしまったけど、優しく受け止めてくれた。

けれど新しい家が決まって体調も回復して、村に帰ってきたときもまた一難。

悪知恵を働かせる人たちが、またもやありもしない噂をオフィスの人たちだけではなく村の人たちにまで流しまくっていた。

『部屋をめちゃくちゃにして出て行った。』
『酒の瓶や缶が部屋中に転がっていた。』

等々、スリランカ文化としてわたしの印象を悪くなるような噂を流されていた。
私は来たとき以上に部屋をきれいにして出て行ったし、村で酒を飲んだことがないどころか酒を売ってるところだって知らないのに、どこからそんな話が出てきたんだ。

でも面倒をみてくれている同僚たちは理解してくれていた。
それが嘘であることも、私を村にいずらくさせようとしてたくらんだ噂であることも、『信じちゃだめ、わたしたちも信じてないから。』となぐさめてくれた。

最近その事実が明らかになって…使用人として働いていた男の子が、私が出て行った直後に酒を持ち寄って部屋を荒らして私の仕業のようにされていたらしい。その彼は、家の宝石・貴金属も長期間にわたって隙を見て盗んでは、換金して女性にお金を払って近寄せたり賭け事をしたりバイクを買ったりしていた。今、彼は警察署の中。私も出て行かずその家にいたら、何かを盗られてたかもしれない。この事実はもう村中に話が広がっていて、聞きたくなくても聞いてしまうのだ。
なんとも言えない複雑な心境。

ある意味、こういった経験はしたいと思ってもできないことだったし悪いことがあったけど、良いこともあった。

それは新しい家族との出会い。

私は、アンマーのこの言葉に救われた。

『自分の家のようにいてね。』

この言葉を聴いたとき、泣きそうなくらい嬉しかった。
気張ってた自分の肩の力も抜けた。

この新しい家でホームステイを始めて2ヶ月が過ぎるが、本当に自分の家のように生活させてもらっている。

ここには、前のようにセキュリティーはない。
ここには、自分の家のように近所の人たちが出入りしている。
ここには、建築途中で窓もないところがあって虫や鳥が自由に出入りしている。
ここには、木々や茶畑に囲まれて動物たちの鳴き声が聴こえる。
ここには、家族に愛されている犬や猫もいる。
ここには、自由がある。

環境も、
家族の雰囲気も、
すごーくゆるい、いい感じ。

自分のお母さんのような気さくなアンマー、

自分の妹のようなかわいいサディーパ、

自分のお兄ちゃんのような会うだけで笑えるサミーラアイヤー、

自分のお姉ちゃんのような居候のアッカーたち、

みんな私のことを家族のように接してくれる。家族の愛に支えられている。

すごくあったかい。
すごく幸せ。

そして笑い声が絶えない家。
娘サディーパとアンマーと私
 
 

村の中で一番の癒しの場所、そして自分らしく笑顔でいられる場所^^



2014/03/01

බල්ලා 犬

午前中の訪問が終え、昼ごはんを食べに家に帰ってきたときのこと。

今日は家族全員出かけるため、家の鍵を預かった。

家族全員出かけたから、誰もいないはず。
そう、誰もいないはず。

いないはず。。。


だけど2階に上がったら…黒い影。。。


黒い影の正体。
こいつ。


子犬、Tiny(英語で、ちっぽけという意味)。

Tinyが爆睡している…
Tinyが2階にいる…

じゃなくて!
どうして家の中になんでTinyがいるんだ!

しかも起きない!


すげぇ格好で寝てる!


すげぇ気持ちよさそう!


飼い犬なのか、
野良犬なのか、
よくわからないけど名づけられているから、飼い犬か。

スリランカは日本のように首輪をつけて家の中や檻で飼っている犬もいる。
Tinyのように外を自由に出て回って、眠ったりご飯を食べたりするときに家に戻ってくる犬もいる。

村にいるほとんどの犬がTinyのような犬。

今週巡回中に出会ったこの子犬たちも民家に住みついてしまったらしい。



このメス犬は実の母犬ではなく、母の留守中に乳を与えにくるらしい。



ちなみにTinyはまだ子犬だからやんちゃが過ぎて、この家だけでなく他の家のサンダルなり靴なりを持って行ってしまってはおもちゃにしてしまう。
人が履いているサンダルも隙を狙って取ってしまう。

何人被害者がいるんだろうか…この家の回りにはTinyのおもちゃとなったサンダルだらけ。

家族や私が帰ってくるたびに遊んでくれと飛びかかってくる。
住みついてる猫たちの餌を横取りする。
茶畑に入りこんで、泥だらけになって帰ってくる。

そんなTinyは、家族が出かける準備をして見ていない隙に忍び込んで、家の中で昼寝。
家族がいる時も扉を身体全身使って開けて入ってきて、昼寝。
家族に外に引っ張り出されても懲りずに入ってきて、昼寝。
自由すぎる。


でも、Tinyのいいところは、どんなことにも腹を立てないこと。Tinyに限らず、この村では威嚇してきたり襲って来ようとする動物に出会ったことがない。

この村はとってもおだやかな空気に包まれている。
だから、人も、動物も、おだやか。

活動でむしゃーっとなってしまう時、この空気に触れると腹を立ててしまった自分が我に返っておだやかな気持ちになり、身体がリセットされている。




2014/02/05

සුභ අළුත් අවුරුද්දක් වේවා! あけましておめでとうございます

සුභ අළුත් අවුරුද්දක් වේවා!(スバアルットゥアウルダックウェーワー)
あけましておめでとうございます。
 
スリランカにて2014年を迎え、また先日128日にて27歳の新しい年を迎えました。
photo;スリランカ伝統的なキャンディアンサリーで新年の御挨拶
 

201311月より活動が始まりました。
あっという間に3ヶ月、新年明けてもう1ヶ月経ってしまいました。
なんやかんやで更新が滞りまして…新年から改め、活動報告を兼ねてブログを更新していきます。

 
まず活動地の紹介。

ここはスリランカ南部ゴール県ナーゴダ郡。
ゴールタウンは外国人観光客も訪れるほど賑わっている、植民地時代の名残が残る港町。
photo;観光名所のゴールフォート
 

そこから山に向かってバスで約1時間のところにあるのがナーゴダ。

ココナッツ・キングココナッツ・パパイヤなどが実る木々が生い茂り、
紅茶畑や稲田が広がり、
カラフルな鳥やたくさんの動物たちと共存している自然豊かな、農村地帯。
photo;セイロンティー畑
 

人口約6万人・53区画に分かれる大きな地域ですが、山々の高低差がありインフラが整っていないため住宅は散在しています。

大雨が降ると道が川のようになるところも多々あります。
photo;晴れと雨では景色が一変

 
新規派遣ということもあり、『外国人がこの村に暮らす』ということだけで、オフィスも住民も大騒ぎ…歓迎してくれることはありがたいことです。

今のホームステイ先も、すっごーく居心地がよくてわたしのことも家族の一員のように親しくしてくれます。
アンマー、20歳の娘、居候の教師のお姉ちゃん2人という女5人暮らし、近所の人たちも毎日のように遊びに来るにぎやかな家です。
photo:スリランカでの家族


活動はというと…地域ボランティアとともに、障害を患う方々の家の訪問をしてリハビリ指導を行っています。
photo;地域ボランティアの人たちと1枚パシャリ
 

凸凹道、
山道、
汗ダクになりながら笑顔であいさつを交わし自転車で村を爆走しまくっています。
そしていい感じに日焼けてしてます。


photo;こんな感じのところを巡回中
 
バスはあっても、メインルート以外は1時間~2時間に1本なので逃すとやばい。
バスはあっても、住宅の多い地域にバスは通らないから使いにくい。

結局、自転車が一番巡回しやすいという答えに至りました。

それがメインの活動とはなりますが、生活習慣の悪化によるメタボリックシンドローム・ロコモティブシンドロームなどといった障害予備群といえる住民を対象とした運動習慣の啓発として、地域に根付いている伝統医療アーユルヴェーダ医師とコラボしたヨガ教室を計画中。試験的にオフィス職員を対象に、ヨガ教室を週1回行っています。
photo;オフィス職員とのヨガ教室

 
病気を患っても、障害を患っても、
病院は遠いし、
連れて行けないし、
薬は買えないし、
手術はこわくて出来ないし、
リハビリはやり方がわからないし、
ひとりじゃできないし、
などなど、
さまざまな要因で障害が重度化している人たちに多く出会います。
photo;地域の障害者の人たちと行進デモ
 

関節リウマチだけど、ステロイドは高価で買うことができない人、
上腕骨骨幹部骨折したけど手術が怖くて、偽関節になって何年も痛みを背負っている人、
脳梗塞発症後、3日で退院してきた人、
日本だったら…と言ってしまうような人たちにも出会いました。

内戦で障害を負い義足をつけてウィールの運転手など仕事復帰をしている人、
障害を負う孤児を引き取って面倒をみている人、
私でも片道30分はかかる山道を装具なくビーサンで昇り降りする頭部外傷の人、
全介助でも家族や友人たちの支えられ生きている人、
これも日本だったら…という人たちにも出会いました。
photo;友人からプレゼントの車椅子・息子たちの介助
 

3ヶ月この村で過ごして、良くも悪くもいい刺激を受けまくっています。

ただの旅では感じることができない、こんなところに日本人的な村での生活。
文化のちがい、
言葉のちがい、
教育のちがい、
医療のちがい、
習慣のちがい、
価値観のちがい、
たくさんのちがい。
たくさんのもどかしさ。

そのもどかしさを感じた時、

ムシャーーーッ!てなる時もあるけど、ムシャーーーッ!で終わらず一度立ち止まり、
自分がもしこの村で生まれ育ったらどんなことを望むだろうか、日本人が来たらどう想うかと考えてみます。

日本人の私がこの村に生活しているというだけで、住民にとっては大きな刺激です。
私にとっても大きな刺激です。
なので今のところ、お互いに様子見段階。
photo;地域の人たちと同じベンチに座って話せる仲ような繋がりを作ることが理想
 
 
まず楽しく生活して、『日本人が好き』って思ってもらえるような活動にしていけるよう一歩ずつ前進中です^^

2013/10/25

තුවාල 創

忘れないうちに想ったことを書いておきたい、そんな気分。

たった今、アンマー(お母さん)と娘と一緒に弟を迎えに行って帰ってきたところ。

アンマーの友人の家で、弟が来るのを待っていた。
5畳程の広さにキッチン・ベッド・小さなソファーがあり、屋根裏が生活スペースになっているような家だった。

ベッドには、おばあちゃんが横になっていた。
患っているようだった。

話を聴くと、足をみせてくれた。
左下腿切断だった。

術後2ヶ月程度経過しているが、切断創部は一部治癒していない。
包帯は外来でのDr診察以外は交換していない。
創部から浸出液が浸み出しているため、清潔管理は十分とはいえない。

原因はDM(糖尿病)、スリランカでも外傷だけではなく内科疾患での切断が増加している。

術後安定してすぐ退院したため、リハは受けていない。
外来リハも訪問リハもない。
歩行器や杖もない。
もちろん車椅子もない。

日本とは異なることはわかってる。けれど、その現状を目の前にするとやっぱり衝撃的なもの。今、私はスリランカにいるんだって実感した。

おばあちゃんは1日中ベッドで横になり自宅療養をして、創部治癒を待つ。

自分で患部外のエクササイズをやってると、エクササイズの内容をみせてくれた。
Body Languageでカバーしながら自宅でできるケアとエクササイズを伝えた。
つたないシンハラ語を、うなずきながら真剣に聴いてくれた。

やさしい声、
やさしい表情、
やさしくあたたかい眼差し、
結局、わたしがおばあちゃんに癒されて終わってしまった感じだ。

おばあちゃんのおだやかな姿と、彼女の後ろに飾られているマザーテレサの写真が心に残った。

理学療法士の自分ができることは何だろう、そう考えさせるきっかけを与えてもらえた1日だった。

感じたこと、想ったこと、次に繋げていけるようにカタチに残していこう。

2013/10/24

ගම 村

話題が盛りだくさんすぎて、あふれそうなほど充実した日々。

これが『村(ガマගම)』なんだなって感じたこと。

ひとつ。

インターネットのリチャージカードを買いたくて、いつも行く家の近くの店(カデーකඩේ)に行ったら日曜日で休み。
他の近くの店も休み。

ちょっと歩いてみようと歩いていると、いつものように村の人に声をかけられた。

『どこ行くの?』
『どうしたの?』
「Dialogのリチャージカードを買いたいんだけど、どこで買える?」
『この道をまっすぐ行って、旗のある交差点を左に曲がって行った店にあるよ。』

そのまっすぐ進む道を歩いていると、
肉屋のおじさん、
遊んでいる子どもたち、
暇してる人たち、
たーっくさんの人たちに同じ質問をされる。そして同じように教えてくれる。

交差点まで来て曲がるべき左の道を見ると、一変。
スラムと小さい店が交ざり合っていて、リチャージカードなんて売ってそうな場所ではなかった。
道はゴミだらけだった。

本当にこの道で合ってるのか?

シンハラ語の理解力が足りなかったのか。
まちがえた道を教えられたのか。

その道の先には、売ってそうな店がない気がしてしまい道を引き返してしまった。
引き返しているときも同じように声をかけられた。

『カードは買えた?』
「買えなかった。」

はじめに声かけて教えてくれたおじさんにもそう伝えた。

『店は見つけられた?』
「見つけられなかった。」
『どうして?』
「左に曲がっても店がなさそうで、戻ってきちゃった。」
『どうして?店はあるよ。道がわからなかった?』
「道はわかったよ、あそこを左に曲がるんでしょ?」
『そうだよ、わかってるのにどうして行かないの?』

売ってそうな店がなさそうだったって正直に言えなかった。

「んー。また明日買いに行くよ。近くの店に売ってるから。」
『曲がったところの店に売ってるって。途中まで連れてってくれるからおいで。』

結局、途中まで連れてってもらう流れになった。
本当に途中までで、旗のある交差点から半信半疑でゴミだらけの左の道に曲がった。

明らかにさっきいた道と雰囲気が違い、なんでここを外国人が1人で歩いてるんだ?と言わんばかりに日本人のわたしが余計に目立つ。

左右の細い路地を見ると、スラムだった。
わたしを見に路地からわざわざ出てくる人もいた。

マッタックリヤはタミル系ムスリム・カトリックが多く、スラムで暮らす人々もとても多い。

パッと見ると危ない道に見えるけど、人の雰囲気はすごくよくて笑顔であいさつを交わした。

少し歩いていくと、本当にリチャージカードの店があった。
カードも買えた。

教えてくれた人たちの言ったことは本当だったんだ。

半信半疑でいた自分に反省。そして親切にしてくれた人たちに感謝。

店を出て、道を引き返しているとまたたくさんの人たちに声をかけられた。
はじめに声をかけられた人以上のたくさんの人たちに声をかけられた。

わたしがカードを探しているということが、道にいる人たちにあっという間に伝わってたんだ。

『カードは買えた?』
「買えたよ。ありがとう。」

そう言うたびに、みーんな嬉しそうにほほえんでくれた。
わたしもその顔をみて嬉しくなった。

はじめに声をかけてくれたおじさんも、心配してくれてわたしが戻ってくるのを待っていてくれた。

一瞬のように、わたしが何をしているのか道にいる人たちに伝えていることには本当に驚いた。

だけど自分のことのように心配してくれて、喜んでくれて、そして笑顔を共有してくれて、そんな人たちの優しさに触れることができた1日だった。

マッタックリヤ、この村がもっと好きになった。

2013/10/18

මට්ටක්කුලිය マッタックリヤ

ホームステイが始まり、あっという間に10日経ちました。

わたしのホストファミリーは、とってもすてきな父・母・娘・息子と犬1匹の家族(パウラපවුල)です。
パパ(ターッターතාත්තා)はシンハラ人、仕事のため日本在住で不在。
ママ(アンマーඅම්මා)はタミル人、インドドラマに夢中。
姉(アッカーඅක්කා)は19歳、お茶目でモノ作りが大好き。
弟(マッリーමල්ලී)は17歳、シャイだけど笑顔がかわいい。

家族みんなシンハラ語も、タミル語も、英語が話せます。
会話はシンハラ・英語。
テレビはタミル語。
食事はタミル料理が多いけど、たまにランカ料理・インド料理。
宗教はカトリック。

家のリビングには十字架、でもママは結婚してヒンドゥーからカトリックに改宗したため、寝室の奥にひっそりとヒンドゥーのお祈り部屋。

多民族・多宗教の家族です。

まずスリランカが多民族・多宗教国家。
民族は、シンハラ・タミル・ムスリムなど。
宗教は、仏教・ヒンドゥー・カトリック・イスラムなど。

スリランカでは、4年前までシンハラ対タミルの民族による内戦が約25年間行われていました。
シンハラ人が国民の半数以上、タミル人は南インドを中心に世界各地に点在。民族が分かれているため、同じスリランカ国民でも言語・宗教・文化は異なります。これは日本と異なることのひとつ。

ホストファミリーのパパ・ママは内戦中にドバイで出会って、その後スリランカに戻って恋愛結婚。
パパとママは10年以上遠距離だけど、よくスカイプ繋いで今もラブラブです❤

またタミルは、インド文化のカースト制が今も強く残っています。その中でムスリムやカトリックは、貧しい階級の人々とされていて生活状況だけではなく仕事内容にも格差。

私が今生活しているマッタックリヤは、タミル系ムスリム・カトリックの村(ガマගම)です。

町の中の至るところにカトリック教会、ムスリムの集会所があります。
スラムもあります。
野良犬はもちろん、野良牛もたくさんいます。
デング熱罹患が懸念されるシマダラ蚊もちらほら見かけます。

毎日蚊に刺されまくって、
ゴキちゃんには左腕をつたって歩いて行かれて、
洗濯干すところがココナッツの木の下でもれなくアリちゃんがついてきて、

日本とは環境ちがうんだなぁと感じることがありつつも、今のところすごく元気です。

マッタックリヤは、村の雰囲気も、人も、すごーくやさしい空気に包まれています。

主言語はタミル語、でも英語もシンハラ語も上手です。
歩いてると誰かしらに話しかけてくれるので、家やバス停など行きたいところへまっすぐ行けません。家にも誰かしらお客さんが来ているので、村の人や家族と話すことが毎日の楽しみです。

みーんな、笑顔がすてき^^

シンハラ・仏教徒が6割以上のスリランカ、それでもマッタックリヤのようにタミル系の村は北部中心に存在します。

民族によって、
宗教によって、
村によって、

生活文化いろいろ。

スリランカに来て、本当にあっという間な2週間…たくさんのすてきなコト・モノ・人に出会っています。

今回は写真がうまくアップロードできなかったので、次回以降すてきな出会いについて紹介して、はっぴぃをおすそわけしていきまーす^^

本日18日はポヤデー(スリランカでは満月の日が仏教の祝日)。

2013/10/06

පතන් ගත්තා はじまり

10月3日午後1時20分、出発。
わたしの大切な家族や友達に見送っていただきました^^

同日出発のエクアドル組^^
亀田メディカルセンター同期^^
おとうさん^^
おかあさん^^

感謝。
離れるさみしさより、応援してくれている気持ちのうれしさ。
 
最幸な旅立ちの日となりました。
 
 
一緒に旅立つ仲間は、25年度2次隊4人・短期ボランティア6人。
公用旅券を受け取り、青年海外協力隊ボランティアとして日本を出国しました。

 
 
スリランカ航空機内の様子。
機内では写真や手紙をみて、想い出にひたってました。
機内食はもちろんカレー、これから2年間カレー三昧です。


 
 
 
 現地時間は夜7時、スリランカ到着。
 
日本との時差は、-3時間30分。
フライト時間は、直行便で9時間30分。
 
スリランカは乾季・雨季があり、年間平均気温は約30℃という熱帯気候。
南アジアらしい蒸し暑さ…すごく好きな感じです。
 
はじめの約1ヶ月間は、研修のためコロンボで生活します。
 
インドと比べてしまうからか…道路は凸凹少ないし、町に野良の動物は少ないし、スーパーはたくさん。
想像以上に町や店がきれいでびっくりしました。
 
 
ちょこっとだけ、この数日間のコロンボ報告^^
 
 
スマイルがかわいいKEELLSと、FOOD CITYという大型スーパーがたくさん。
食料品や生活雑貨は、日本同様だいたい揃います。
 

 


 

このヨーグルトとマンゴーネクター美味しかったー!パッケージもかわいい^^
 

 

 
翌日からさっそくはじまったオリエンテーションの昼休み、JICAオフィス近くの店でテイクアウト。
ランチは、150Rs(ルピー)=約115円!ごはん少なめにしても食べきれないほど多く…辛いけど美味しくいただきました。
 




もちろん“手”で食す^^
 


 


日没前に近所探検。
暗くなると危険度アップするので、特に女性は1人で出歩いたらいけません。
 
ホステルは海のすぐ近くで、車の排気ガスのすき間から微かに潮の香り。
海沿いには列車が走っていて、100%以上の乗車率…さすがアジアな乗り方です。
 
 





 
 
タミル系ローカルレストランで夕ごはん。
お腹いっぱい食べて、スリランカらしい甘い甘いミルクティー飲んで、1人175Rsでした。






スリランカではバス・スリーウィールが移動手段。
…ということで、乗り方講座。

バスは乗降途中でも急発進とおかまいなし…危険性が高いため、先輩方から伝授。
土曜の昼間は空いているけど、ピークタイムはバスももちろん乗車率100%以上です。


町の様子。
駅周辺は人やバスなどごった返していて、ザ・アジアって感じでわくわくします^^



 
 地方行きのバスターミナル…バスがあふれまくってました。


 

任地へ行くためのバス停を探しました。
まずはゴールまで行き、ナーゴダ行きへ乗り換えなければいけません。

ゴールまで、片道約3時間。
バス賃は、275Rs。

 
スリーウィールの乗り方は、インドのリキシャ―同様に乗車前に値段交渉をします。

これは得意分野^^
 
最近コロンボではメーター付きスリーウィールが多くなってきているそうです。
 
 
 
スリランカ生活4日目、ぼちぼち濃厚な日々を送っています。
やっぱりアジアって好きです。
 
安全に、
健康に、
楽しく充実した生活が送れるように、
大事な御守りをはなさず2年間を過ごしていきます^^
 
 
 
明日からはホームステイがはじまります。